正伝長尾流躰術とは


長尾流躰術(ながおりゅうたいじゅつ)は、文献伝承によれば戦国時代、武田信玄と覇権を争った上杉謙信が、武田方の武将馬場信春率いる部下の「刺刀(さすが)の術」に対抗するため、甥の長尾監物為明(ながおけんもつためあき)に命じ考案されたとされています。当時は甲冑着用時の合戦組討術でした。やがて、江戸時代に入り、甲冑で戦う機会も無くなったため雨夜覚右衛門時可(あまやかくえもん)がこれを原型として工夫を重ね、日常護身術までの幅広い武術に改良されました。享和元年(1801)に雨夜覚右衛門時可が11代加賀藩主前田治脩(はるなが)公に披露し、加賀藩の武術学校である「経武館(けいぶかん)」で採用され多くの侍に教授されました。雨夜覚右衛門時可は北陸道の中興の祖と称されています。 現在、金沢工業大学で当流伝書に基づき復興され正伝長尾流躰術部により伝承されています。




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